2006/11/14

「10歳の時の想像力を生かし、忘れてしまった自然を取り戻したい」

リュック・ベッソン監督(写真)に会いに行く道は遠かった。 パリから西方に2時間程度走ったら、乳牛と羊たちが走り回るノルマンディーの野原地帯が開けた。リュック・ベッソン監督の「デジタルファクトリー」は野原の真ん中にあった。「ファクトリー(工場)」という単語が与える感じとは全く違う空間だった。よく整った芝の上に上映館のある建物、レストランのある建物など大小の建物がよく配置されていた。牧歌的な雰囲気のする建物の間には小川が流れていた。都市の騷音とは完全に遮断されたまま、自然を無限に感じることができる空間だった。リュック監督の新しい映画『アーサーとミニモイたち』を作るのに適した場所という感じがした。『アーサーとミニモイたち』はクリスマスに全世界同時公開を目標に製作された映画。3Dアニメーションを中心に実写が加わった作品だ。 リュック監督は、豊かな体格にユーモアあふれる話で試写会場を訪れた客を迎えた。彼は「映像と音響の一部を除いて作業はほとんど完了した」と説明した。 『アーサーとミニモイたち』は、『ハリーポッター』『ロード・オブ・ザ・リング』のようなファンタジー映画だ。お婆さんと二人きりで人里離れた家で住んでいた困りもの少年アーサーがある日、お爺さんが残した呪いの書を見つけた後、宝物を捜しにミニモイたちの世界に冒険に出るというストーリー。ミニモイはアーサーが住む家の庭先に住んでいる身長2mmの生命体だ。 作品はアニメーションらしく想像力に満ちている。リュック監督ならではのスピーディな画面もずっと続く。同日上映された作品は同監督が自ら書いた同じ題目の小説を土台に計3部で製作されるシリーズのうち一番目の作品だ。『レオン』『フィフス・エレメント』『グラン・ブルー』で有名なリュック監督が子供向けのファンタジー小説『アーサーとミニモイたち』を書いた理由が知りたかった。簡単な質問にとても哲学的な答えが戻ってきた。 「今、世の中はとても乱れている。人々は過度にシニカルだ。自然からもあまり離れている。人間は自然から遠く離れると死ぬ。ミニモイたちは自然とともに暮らす自然の一部だ。忘れてしまった自然を取り戻そうという考えを作品に盛り込んだ」 映画には身長2mをはるかに超えるアフリカ部族民も登場する。リュック監督は「2mのアフリカ部族民が見る世の中と2mmのミニモイが見る世の中はそれぞれ異なる」とし「二つの種族が手を握れば世の中の全部が見られる」と話した。「人種差別」「階層間の葛藤」のようなテーマも取り上げたとの説明だった。試写会直前、リュック監督は観客たちに「あなたたちが10歳だった時を思い浮かべながら映画を見てほしい」と注文した。そんなリュック監督の10歳の時はどうだったろうか。 「私が10歳の時は、テレビもインターネットもテレビゲームもなかった。おもちゃもろくになく、直接石や土でおもちゃを作って遊んだ。想像力を無限に繰り広げることができた。あの時の想像力を生かして『アーサーとミニモイたち』を作った」 リュック監督は今もコンピューターを使用せずにペンで文を書く。電子メールも使用しない。 今回の作品を最後に、リュック監督は製作は続けるが、監督は辞める計画だ。同監督は走者に喩えて理由を説明した。 「走者は自分の最高記録を破るのが最大の目標だ。これ以上新記録を立てることができないということを悟る瞬間、彼は走るのをやめる」東亜日報 - 2006年10月19日
posted by masahiro @ 12:30 午後

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